
善峯寺(よしみねでら)は、京都府京都市西京区にある寺院。
山号は西山。
西国三十三箇所第20番札所。
善峰観音宗(天台宗系単立)。

桜や紅葉の名所になっているとともに境内各所から京都市街、比叡山を一望できる。
深紅、朱、黄、オレンジ色…。
境内だけでなく向かいの山もさまざまな種類のモミジが染め上げる。

本堂前、阿弥陀堂への石段、本坊の庭と、歩きめぐるほどに鮮やかな紅葉が目の上にも広がる。
山は、十一世紀の前半に源算上人がこの地に小堂を建て、自作の十一面千手観音をまつられたのに始まります。

観音信仰の高まりとともに早くからその霊場として栄え、創建まもない長元七年(1034)に後一条天皇 から「良峯寺」の寺号と聖詠をたまわって以来、歴代天皇の崇敬あつく、中世 には「西山宮」と称する門跡寺院となり、五十あまりもの堂塔を有する大寺院となりました。

しかし、応仁の乱(1467~77)の際に兵火を受けて焼け、現在の諸堂の多くは、江戸時代に徳川五代将 軍綱吉の母である桂昌院の援助によって再建されたものです。
元和七年(1621)再建の多宝塔は、現存最古のもので、重要文化財に指定されています。

文化財としては鎌倉時代の画で大元帥明王軸がありますが、これも重要文化財に指定されています。
京都府指定の文化財としては「善峯寺曼荼羅二幅」があります。

また、多宝塔の前にある樹齢六百年の五葉松は 「遊龍の松」の名で呼ばれ、国の天然記念物に指定されています。

寺伝によりますと、開基である源算上人は現在の鳥取県に生まれ、正暦二年(991)九歳の時、 比叡山 首楞厳院(しゅりょうごんいん)の恵心僧都 源信(えしんそうず げんしん)のところに徒弟に入り、 十三歳の長徳元年に剃髪受戒されました。

師と仰がれた源信は、九歳で比叡山に上り良源(元三大師)に師事、貴族化した天台教団を嫌い、 横川(よかわ)に隠棲し、『往生要集』を著わし、末法思想が普遍化している中で、念仏による浄土教の発展に大 きな影響を与えた僧であります。

つまり、阿弥陀仏を念じることにより、来生を西方極楽浄土に往生しようとする思想がこれで、仏教典中の歴史観で ある末法思想が台頭し、社会不安に人々がおののいていた時期であっただけに、この思想は世の注目を洛び、 『往生要集』は中国にも輸出され、中国人に大き な影響を与えたのであります。

末法思想というのは、釈迦の入滅後、
● 正法(しょうぼう)、
● 像法(ぞうほう)、
● 末法(まっぽう)堂を結んでよリ70余年の大往生をされた上人に、長寿をご祈念ください。

桂昌院ってどんな人?
五代将軍 綱吉の生母、桂昌院の実像にせまります。
ゆがめられたイメージ
1999年のNHK大河ドラマ「元禄繚乱」を皆さんはご覧になられたでしょうか。
こういった、娯楽時代劇に登場する桂昌院は、子の五代将軍徳川綱吉と共に、よろしくないイメージで描かれるようです。
しかし、実際のところ如何なる人物だったのか、ご存知の方は極めて少ないはずです。
彼女の生い立ちや人生を正しく見つめ直し、善峯寺との関わりや、信仰に生きた本当の彼女の姿を浮き彫りにしてみたいと思います。

善峯寺のお守り
災い転じて福と成す
まだ記憶に鮮明な阪神大震災。
あの時高架が落ちた阪神高速で、ギリギリのところで停止して、墜落を免れたバスの運転手さんが、ここ善峯寺のお守りを持っていたことで、「落ちない」御守りとしてその後、受験生に人気が広まった。
もともと、長元二年(1029年)の開山というこの寺は、神経痛や腰痛を取ってくれるお寺として有名。
副住職によると、「実際に、あのバスの運転手さんご本人が震災後、お礼にお寺に参られました。」
命をも救ってくれるお守りだけに、ご利益も大きい!?

■ 時 間 8:00-17:00(16:30受付終了)
■ 交 通
阪急「長岡天神」駅からタクシー15分
JR「向日町」駅からタクシー20分
阪急バス「善峯寺」下車、徒歩8分
■所在地:京都市西京区大原野小塩1372
■電話:075-331-0020
■ホームページ:http://www.yoshiminedera.com/
※写真は全て過去のものです。
























































